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 佐伯啓思さんの『西田幾多郎 無私の思想と日本人』を読んでいる。
 まだ序盤なんだけども、既についていくことがむずかしい。
 こういう思想をわかる精神の土壌が痩せているからかなあと思う。たとえば「畏れ」や「言霊」みたいな体感してふるえるような感性、感覚でわかる経験の無さが、宗教性を帯びたものへの認識を妨げている気がする。

 私の子供のころと十代半ばと現在とが連続した確たるものだ、っていうのがどうにも納得しきれないときがある。私は一人なんだけど、変化してきたから、昔との隔たりを大きく感じて、私は同一だと把握しづらく不確かに思う。
 だから、私よりも先に事象があって、それを反省して私が生まれる。状況によりさまざまな事象を表現する「於いている場所」が私を作り出す、というのはなるほどねという気がする。

 正しく理解できていない気がする。うーん。