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Spotifyでラフマニノフやチャイコフスキー、ブラームス、ドヴォルザークをかけている。そうして倉橋由美子を読んでいる。なんと暗澹たる心持ちになることだろう。
あの初期の倉橋由美子の作品にはフランス文学の姿がにほひたっていて、一瞬私はサルトルを読んでいるようだと思った。実際倉橋由美子はサルトルを卒業論文に取り上げたようだった。私の作風への影響の感覚は当たっていたようだが、仏文学はサルトルとジュネしか読んだことがないうえ、そもそも読んでいる文学作品が圧倒的に少ないからなんとなく連想したのだと思う。
しかしあんなにも仏風で書かれていることに驚いた。あの粘液のような、生理的な、肉体的な、圧迫されるような、嫌悪のような、正体の見えないイマージュでしかないような、私にはこういう単語の羅列でしか表現出来ない世界をどうやって構成したのだろうか。影響を受けて研究すれば作れるものだろうか?