ごった

色々書きます

 レッドデータガールを5巻まで読み直した。





 

 青年期の揺らぎ、というものがこんなに書かれていたか、と驚いている。自分は何者なのか、何者になるのか、自分を信用するということ、大人たちとは似ているけれども違う道を選ぶこと、などなど。中学三年生から高校一年生の年齢設定に納得がいったかな。

 深行の内面がわりと子供っぽくて、真響にもかなり脆さがあるという、アンバランスさがそれっぽいなあと思った。トトロのサツキがちゃんと泣くことで子供「らしさ」を保っている、というような感じ。他にも、大人と子供の間にあって、今を留めおくことを時が許してくれないこともそれらしいな。真響は女の子になりたくないし、ずっと宗田きょうだいのままでいたいけれど、でもそうではいられないと薄々気づいている。泉水子姫神の力だって自分ではコントロールできない翻弄される激動の時期特有のものだな。あと、雪政に対する認識も個人というより親・大人たちに対するものなのだろうな。雪政に対して泉水子は秘密を持ち始め学生生活を分かってないと考える。一方で反発していた深行は認めざるを得ない部分もある、と言うようになる。上の世代への見方が複雑になるというかね。

 

 最初に読んだとき(10年くらい前!?)はファンタジーの要素ばかりに目がいっていた。泉水子と深行の関係を「さだめ」という一面的なことのみで把握しようとしていた気がする。なんというか、泉水子や深行が何を考えているのかよく分からないでいた。でもそりゃ2人は青年期だもの、言葉に出すことと無意識下にあること、互いの内面にあること、について充分には洞察出来ないだろう。というようなことが、今回読み返して腑に落ちた。呆れた話だが、登場人物を見る力が本当に無かったんだな。今だってあるとは言えないし、ただ私の見方が変わっただけだろうな。当時の私は特別でいいな、私にはそういうものない、という憧れを持って見てた。私のあの気持ちも青年期のものだね。