ごった

色々書きます

パール・バックの『大地(一)』を読みおえた。



風俗・風習の説明があって、異郷の地でのレポートみたいだ。悪い意味でなく黄色い肌と書いてあり、多分作者とは少し違う、距離のある対象・土地なのだと思う。だけど天や孝の思想は、違和感なく人々の動きの中に溶け込んでいるように感じた。東と西が混じっているのかな?不思議な感じ。

なんだか風と共に去りぬみたいね、とも思った。読んでなくて映画と宝塚でしか知らないんだけど。大地って何だろうね。この作品からは、よくいう封建制度やそこに抑圧されている人々の解放、などの印象は受けなかった。王龍は無知で次第に富裕になっていくけれども、それでも大地を離れられない、大地を離れては己ではなくなってしまう。そういう人を描いて時代の逆をついているような気がしたり。続編の息子達の代は知らないけど……。

季節の巡りと人生を重ねて、春の阿蘭、小春日和の梨花という対応なのかなと思ったり。阿蘭は寡黙で逞しく、母なる大地のようだ。梨花は華奢で、阿蘭とは経歴と王龍を慕うところが似ている。だけど子は成さず、だから王龍の晩節に現れた美しい阿蘭のような気がする。
もう一人いる蓮華はあんまり好きじゃないかな……。蓮華の出てきたあたりから先行きが不穏で、阿蘭が可哀想で仕方なかった。嫌だと思いつつも読むスピードは上がったけども。

無知は罪ながら、お金とか女とか、息子達の学だとか、知るだけにどんどん優しさから離れていく。最初の阿蘭との結婚が一番よいものにみえる。こういうものでも遠い想い出が一番美しいのだろうか。