ごった

色々書きます

 最近笑っていないと言われた。そもそも表情が出ていなくて、元気なさそうで不機嫌そうに見えるらしい。そしてそれは母だけでなく妹、あまつさえ祖母にまで感じられているらしく、更にここのところ暫く続いていると指摘された。

 毎日がつまらない、無意味の自分、非生産的な生産年齢の自分、穀潰しの己、そりゃ楽しんで言いわけないと思う。ただ代謝しているだけだもの。

 でもそれを表に出して周囲を不愉快にしてしまうのはいかんことだ。そこまで酷い態度をとっているとは気づいていなかった。

 

 母に毎日がもうちょっと楽しくなるようになるといいね、と言われた。私はそばから見た人にそう思われるような毎日しか過ごせていないのか。それは一体どうすればいいんだろう。この10年の中で一番マシな時期が今だと、アップデートされた日々の中にいると思っているのに。

 今がダメだってことはずっと分かっているまま、何も変わらないダメな今を更新し続けてここにいる。勘弁してほしい。こんな自分を許容できるはずない。

 

 でもこんなことを耽溺するほどにはきっと考えも感じてもいない。表面的なアッピール。

 

 よくわからない。

今晩も20分で書いてみよう。

半分青いをなぜ毎日見ているのだろう。

カンちゃんはフィギュアスケートをやりたい訳じゃないんやないの?と思ったりする。カンちゃんは真央ちゃんの絵を描いているし、少し前には漫画を熱心に読んでいたし、スズメが一緒に絵を描いてあげることで十分ええんやないの。何も親のお金を資金にして作ったばかりの店を離れて東京へ行かなくても、カンちゃんの為に出来ることはある気がする。カンちゃんが半年くらいで失った人・環境の数や重さは大きいのに、それに構わず進んでいくことがこわく感じられる。こう書いているけど私は全然カンちゃんのファンではない。

 

 自分の時間の使い方が無駄だと自覚することが多いにもかかわらず、何も変えることが出来ないでいる。自分のために使える時間なのに、自分のために苦労や努力して何かを実らせようと出来ない。いつまでもモラトリアムの内に在ろうとしている。寄生虫だ。ウィンウィンじゃない寄生虫

 いつまでも無限に可能性があり飛翔できる時間があるのではない。私はもう精神的な鋭さを失っており、ここからただ下降していく。若い、というだけで何か新鋭で先進で価値のあるように言われる、そんな時期を無為に過ごす。

 何をやっているんだろう。毎日振り返って日記に書くことは同じ。明日も変わらない。やりたい、やらなきゃは意識されるがそこからの方法が肉体と繋がらない。こんな子じゃなかった。

 

 孤独と沈黙は嫌いじゃないが1人でいると言葉が出てこなくなる。一緒の空間にいて話しかけられているのに、自分は貝の内側に、遠く隔たったところへ行ってしまう。意識の沈下が起こる。

 

推敲はしません!寝ます!

 一日のなかで自分の内側であったことを全て外に出しているわけではないから、やはり書かないと内定経験も忘却の彼方へ行ってしまうため、時間を区切って書き残しておこう。今日は20分で書く。

 

とはいえ何を考えたかな。

 

 読んでいる本のなかで初めて知った単語があった。「みそなはす」という。辞書によれば「見る」の尊敬の言い方らしく、ご覧になるということらしい。漢字もあるんだけど変換できないな。糸言糸と書いた下に肉と書くらしい。結構糸言糸の塊は漢字で見るけど、冠として名前があるのだろうか。

 ちなみに読んでいるのは「教養としての宗教入門」で、今月買ったものだ。宗教の比較が概観的に、特定の信仰の立場からではなくされている。面白い。

 しかしいつまで私は入門系の本を読み続けているんだろうか。もう少し深化したい。

 

 短期のバイトを探している。でも、人の中に入って上手くこなせる気がしない。今人の質問に対して真っ直ぐ答えられないことが気になっているからだ。それにノウハウを習得出来ない気がする。

 

 20分は早い。終わり!

 Spotifyラフマニノフチャイコフスキーブラームスドヴォルザークをかけている。そうして倉橋由美子を読んでいる。なんと暗澹たる心持ちになることだろう。

 あの初期の倉橋由美子の作品にはフランス文学の姿がにほひたっていて、一瞬私はサルトルを読んでいるようだと思った。実際倉橋由美子サルトル卒業論文に取り上げたようだった。私の作風への影響の感覚は当たっていたようだが、仏文学はサルトルとジュネしか読んだことがないうえ、そもそも読んでいる文学作品が圧倒的に少ないからなんとなく連想したのだと思う。

 しかしあんなにも仏風で書かれていることに驚いた。あの粘液のような、生理的な、肉体的な、圧迫されるような、嫌悪のような、正体の見えないイマージュでしかないような、私にはこういう単語の羅列でしか表現出来ない世界をどうやって構成したのだろうか。影響を受けて研究すれば作れるものだろうか?

 

 

 10年前の今頃不登校になった。

 それから行くべき学校が無くなって、つまり学生という身分を失って、引きこもりみたいなものになった。当時はあまり引きこもりって言葉を自分に使わなかった。療養という面もあったし一応カウンセリングを受けに月二回は必ず外出していたから。ニートだね。

 今は半引きこもり兼半不登校みたいな感じ。通信制大学に通い始めて数年たつけど、あまり勉学に励んでいないしバイトもしていない。学生身分を利用したニートだとぶっちゃけ思う。

 10年経ってなんか、そうだなあ、マシになったなあとも残念だなあとも感じる。

 

 10年の最初の辺りの記憶はおぼろげにしかないけど、色々あった。

 まず一つは、多分2年目辺りが特に酷かったと思うけど、ご飯が食べられなくなった。食べても口に指を入れて吐かないといけなかった。その割には体重は落ちなかった。一回家の廊下で倒れて、母が駆け寄ってきて、ああ食べなくちゃいけないなと思った。祖父母が買ってきてくれたハーゲンダッツのグリーンティーが本当に美味しかった。食べられるようになっても1年くらいお肉は食べられなかった。

 

 過去を自分に統合しよう書き始めたけど、15分経ったからまた書く。

 文章を書かなくてはいかんと思うのは、私の内側が貧しいと分かる時より顕著なのだけど、自分が貧しいということは、書くべき内容を持ち合わせていないのである!

 

祖父の手術から3日後のメモ

 術後初めての面会。

 祖父の頭は髪がまだらに生えた坊主になっていて、テープが付いていた。祖父は車椅子に座り、多く繋がった点滴や心電図の管を外そうと試みていた。

 顔は腫れて目は赤く、声は小さく掠れて熱もあった。でも元気らしく、ちゃんと食べてリハビリしてトイレへ行ったらしい。

 

 冗談なのか、ぼんやりしているのか、なんで明瞭じゃないのか私にはよく分からなかった。起きているのに違っていた。祖父は私と妹のことを一体誰の子かと尋ねた。これを聞いて私は妹と一緒に挨拶をせずに病室を出てしまった。

 

 

……術後1日目から祖母と母は面会に行っていた。私が会いに行ったこの日は比べるとだいぶマシな状態になってきていたらしい。でも私は見ていられなかった。

 手帳によれば、この日の夜にテレビ放送の「塔の上のラプンツェル」を見ている。しかも塩野七生さんの「ルネサンスとは何であったのか」も読み終わってる。なんだそりゃ!元気じゃん!

 

3年前の祖父の手術日の深夜から翌日のメモ

 

 自分が、感性がにぶって他人事で優しくないのか、引きずられなくて頼もしくて動じないのか、よくわからない。 私は優しくない。

 

 祖父は大丈夫だろうか。祖母は一人で時間を耐えられるだろうか。母は疲れているしよく泣く。今日はなんだか皆違った。

 手術の映像を私と妹は想像ですら耐えられなかった。関係の近い祖母と母は、音声と映像と医師の説明とに潰れないだろうか。

 祖父は大丈夫かな。早く一般病棟に移られるといい。

 叔父に伝えて、向こうの判断に任せて帰ってきて貰えばいいのに。少人数で抱えるのは重い。

 ぼろぼろ泣くくせに頭の半分では今日のゲームのBGMや色んな音楽が流れてて変。演技なのかと思う。 頭いたい。鼻つまった。

 

 

……手術する半年前に祖父母は叔父のところへ行った。祖父はもう会うことは無いというような思いで行き、脳の手術を受けることを説明したらしい。でも叔父は興味を示さなかったらしい。だからこの手術の日取りは叔父に連絡しなかった。

 祖父母は近居している私達にも最初は手術のことを伝える気は無かったらしい。2人だけで解決できる、迷惑をかけまいと思っていた模様。