ごった

色々書きます

 ずいぶん前に読んだのでだいぶ不確かな感想だけどあげる。
 平安時代律令では結婚の許される年齢は男は15、女は13らしい。元服・裳着もその年齢を目安に行うのだとこの本に書いてあった。

一夫多妻に見える平安時代だけど、本当は律令によって一夫一妻制だったという。社会的に妻と認められるのはただ一人で、源氏では葵と女三宮があたる。あとは社会的に不安定な妾で、男の愛情を頼りにするしかない。紫の上はこちら側になり、世間的には決して正妻より格上に扱われることはない。世間の認識も女三宮が降嫁した以上は紫の上も振る舞いを弁えるべきだとなるらしい。
 蜻蛉日記和泉式部日記の作者も妾や召人であって正妻ではない。そういうサンプルの偏りや源氏のような虚構から婚姻史を研究してきたので、一夫多妻制という誤解があるんだとか。へえ〜。あと儒教では女の意思で恋愛・結婚をするのはあまりよろしくないらしい。

 でも文学では正妻とは恋愛が始まらない。それはたいていの貴族は恋愛出来ない年齢のうちに、元服・裳着とともに結婚を親に決められてしまうから。自分の恋愛をするには正妻以外を求めていく必要があり、正妻は退場ということになるらしい。
 今のよくある愛なし政略結婚で愛を見出すというのは、葵がヒロインになるわけで、ありな気もするけどね。むしろなんで今は葵がヒロインになる展開がありえるんだろう。恋愛の方法・目的・良いとするところが違うのかな。恋の障害(身分差とか)が少ないからかな?