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 エマニュエル・トッドの「問題は英国ではない、EUなのだ」を読んだ。

  第3章の「トッドの歴史の方法」が特に面白かった。人口や家族形態や政治体制など色々な視点から物事を見ていくっていうのはいいなーって思う。

 本で扱ってあったドイツの人口のことが今週の新聞にも載っていた。死亡数は出生数を上回るが、難民の受け入れにより人口が過去最高の8280万人になったとかなんとか。本そのままの内容だけど、それが歪と指摘されているからこういうニュースも目に入ってくるね。
 人口の話でいうと「なぜ?がわかる世界史」にローマ帝国最盛期の五賢帝時代は出生数が落ちているとあった。それから少し下ると、属州民にもローマ市民権が与えられて、みんな平等のローマ市民になっている。最盛期には陰りも見えるわけで、この辺はローマ衰退と関係したりしないかな。しないか。
 
 個人の自立には国家の保障が必要だと書いてあった。同じような内容が「歴史をいかに学ぶか ブルクハルトを現代に読む」にもあって、個人の要請がだんだん国家に強い権能を持たせるという。個人は自由になるため国家を縛ったはずなのに、その関係は次第に変化するのが当然という不思議。これ、今回の本の感想じゃないな。
 
 英米から世界の潮流が変化するという指摘は、確かにそうだなとニュースを見れば思う。英米の選択の理由をしっかり知りたいなと思う。批判のニュースが多いけど、多分そのうち日本にも入ってくる価値だろうからね。冷静にみたいね。


 三島由紀夫の「お嬢さん」を読んだ。このタイトルはズバリだなと思う。お嬢さんって言葉からは、品のいい清廉な、まだ世間を知らない女のイメージが沸くからね。大人でも子供でもないモラトリアム女学生だから出来る話だなあ。太宰の「女生徒」なんかもそうよね。

 野田洋次郎の「ラリルレ論」を読んでいたら日記を書きたいなあと思った。紙に書くのが向いてる気がする。その代わりに本の感想を見えるところに書くようにしよう。感想とは言えないレベルだけども。
 ラリルレ論はツアー中の日記なのでね、日々考えていることが割とストレートに書かれてありますね。アルバムは聞いてもあまりパーソナリティのことは追っていなかったのでね、発見が多いですね。やっぱりそんなこと思っているんだ、もあるし、思ったよりも私の勝手な偏見バンドマンメンタルなんだな、とかね。
 「五月の蝿」と「ラストヴァージン」が同じシングルに収まっているのもなんだか当然だなあと思ったりする。まあみんなその振れ幅があって、統一された1人であるわけだわね。
 ラリルレ論は歌詞の生まれてくる背景を少しは知ることができるというのかな、うん。和歌の解釈書みたいな感じに思える。

 昨日は「夢の守り人」を久しぶりに読んだ。ドラマが始まったのに影響されたね。守り人シリーズを読み返して思うのは、文化人類学いいなーってこと。あと前よりバルサとチャグム、バルサとジグロの関係にジーンとするね。
 小さい時はどういう風に読んで面白いと感じていたんだろうなー。


祖母が祖父の介護をしている。
祖母は本当に甲斐甲斐しいと思う。お医者さんも介護士さんもよくやっていると祖母を褒める。でも無理はしないようにと添える。この部分が祖母に伝わらない。

祖母はポロポロしんどいことをしんどいと口にするようになっている。なのに、大丈夫大丈夫としんどい状態にあることを認めない。案外がんばれる、とか言って受けられるサービスの利用を渋る。

祖母はうつ状態だから、母に無理しないでねと言いながら結局無理させている矛盾に気づいていない。祖母は祖父の世話を生きている意味だと言い、その献身ぶりを周りは褒めるから、なんだか祖母の自傷行為に見えなくもない。祖父を離さないのはユングのグレートマザーみたいにも思える。祖父の世話が無ければ、曾祖母に関わらないといけないと思っているのかもしれない。しんどい時に苦しみから楽になろうとするのは罪と感じるのかなとも思う。

祖父がよくなるとしてもそれは多分当分先だと思う。母は長く一緒にいるためにサービスを利用してほしいっていう。でもなんでか祖母にはうまく伝わらない。
こういう愚痴みたいな気持ちを抱えて接しているのがあかんのやろな。頑固者め、とか思うのがダメなのね。


譲位の話って、むずかしいなあと思う。

日本の国体は皇室と不可分だけど、それは明文化されている憲法と違って、目に見えるものじゃない。
国体となると、通暁しているのはやっぱり保守系の人だろうと思う。みなが同じくらい日本の在り方の歴史を知るわけじゃない。
で、だから、目に見えるものと見えないものとお気持ちを、どうすれば広く話して深く考えれられるのか。何がいいんだろう。

知識も判断も充分じゃないから、よく分かってない。でも私は日本のことが大事だし、その精神の何かが自分にあればいいと思う。

過渡期だなあ。

NHK杯アイスダンスを見ました。

もうね、見てる時はかわいいーとかきれいーしか出てこないですね。
あとステップが好きだから、本当に楽しい。
アメリカのホワイエク・ベイカー組は衣装もプログラムもよかったですねえ。淡いブルーが清らかで、なんだか新鮮な「愛の夢」でした。

カップル競技は、二人だから生まれる雰囲気がいいんだと思いますね。真央ちゃんとバトルの「ボレロ」とか。

超特急のことが気になる。

 ちょっと前にシンクロニズムっていうライブの番組を見ましてん。歌うまいなー、ダンサーもうまいし体力すごいなー、衣装一着で回すのかとか、いろいろな発見がありましたわ。この子らすごい子らなんやなあと初めて知りましてん。ラッシュアワーとピーピーポパニパニが頭から離れんようになりましたわ。

 で、最近バラエティーのムチャぶらツアーを見たんですわ。個がよく表れる内容で、それぞれが面白かったんですよね。

 やっぱりこれがデビュー組なのね、って同年代のjのジュニアを見てる身としては、ライブを含め、思わずにはいられなかったですね。何かしらね、この差はね。なんでかしらね?


 何がどんなでどう感じたのか、ってうまく説明が出来ればいいんだけども、うまく把握が出来てないんで出来ないですね。あちゃうー!

 佐伯啓思さんの『西田幾多郎 無私の思想と日本人』を読んでいる。
 まだ序盤なんだけども、既についていくことがむずかしい。
 こういう思想をわかる精神の土壌が痩せているからかなあと思う。たとえば「畏れ」や「言霊」みたいな体感してふるえるような感性、感覚でわかる経験の無さが、宗教性を帯びたものへの認識を妨げている気がする。

 私の子供のころと十代半ばと現在とが連続した確たるものだ、っていうのがどうにも納得しきれないときがある。私は一人なんだけど、変化してきたから、昔との隔たりを大きく感じて、私は同一だと把握しづらく不確かに思う。
 だから、私よりも先に事象があって、それを反省して私が生まれる。状況によりさまざまな事象を表現する「於いている場所」が私を作り出す、というのはなるほどねという気がする。

 正しく理解できていない気がする。うーん。