Spotifyラフマニノフチャイコフスキーブラームスドヴォルザークをかけている。そうして倉橋由美子を読んでいる。なんと暗澹たる心持ちになることだろう。

 あの初期の倉橋由美子の作品にはフランス文学の姿がにほひたっていて、一瞬私はサルトルを読んでいるようだと思った。実際倉橋由美子サルトル卒業論文に取り上げたようだった。私の作風への影響の感覚は当たっていたようだが、仏文学はサルトルとジュネしか読んだことがないうえ、そもそも読んでいる文学作品が圧倒的に少ないからなんとなく連想したのだと思う。

 しかしあんなにも仏風で書かれていることに驚いた。あの粘液のような、生理的な、肉体的な、圧迫されるような、嫌悪のような、正体の見えないイマージュでしかないような、私にはこういう単語の羅列でしか表現出来ない世界をどうやって構成したのだろうか。影響を受けて研究すれば作れるものだろうか?

 

 

 10年前の今頃不登校になった。

 それから行くべき学校が無くなって、つまり学生という身分を失って、引きこもりみたいなものになった。当時はあまり引きこもりって言葉を自分に使わなかった。療養という面もあったし一応カウンセリングを受けに月二回は必ず外出していたから。ニートだね。

 今は半引きこもり兼半不登校みたいな感じ。通信制大学に通い始めて数年たつけど、あまり勉学に励んでいないしバイトもしていない。学生身分を利用したニートだとぶっちゃけ思う。

 10年経ってなんか、そうだなあ、マシになったなあとも残念だなあとも感じる。

 

 10年の最初の辺りの記憶はおぼろげにしかないけど、色々あった。

 まず一つは、多分2年目辺りが特に酷かったと思うけど、ご飯が食べられなくなった。食べても口に指を入れて吐かないといけなかった。その割には体重は落ちなかった。一回家の廊下で倒れて、母が駆け寄ってきて、ああ食べなくちゃいけないなと思った。祖父母が買ってきてくれたハーゲンダッツのグリーンティーが本当に美味しかった。食べられるようになっても1年くらいお肉は食べられなかった。

 

 過去を自分に統合しよう書き始めたけど、15分経ったからまた書く。

 文章を書かなくてはいかんと思うのは、私の内側が貧しいと分かる時より顕著なのだけど、自分が貧しいということは、書くべき内容を持ち合わせていないのである!

 

祖父の手術から3日後のメモ

 術後初めての面会。

 祖父の頭は髪がまだらに生えた坊主になっていて、テープが付いていた。祖父は車椅子に座り、多く繋がった点滴や心電図の管を外そうと試みていた。

 顔は腫れて目は赤く、声は小さく掠れて熱もあった。でも元気らしく、ちゃんと食べてリハビリしてトイレへ行ったらしい。

 

 冗談なのか、ぼんやりしているのか、なんで明瞭じゃないのか私にはよく分からなかった。起きているのに違っていた。祖父は私と妹のことを一体誰の子かと尋ねた。これを聞いて私は妹と一緒に挨拶をせずに病室を出てしまった。

 

 

……術後1日目から祖母と母は面会に行っていた。私が会いに行ったこの日は比べるとだいぶマシな状態になってきていたらしい。でも私は見ていられなかった。

 手帳によれば、この日の夜にテレビ放送の「塔の上のラプンツェル」を見ている。しかも塩野七生さんの「ルネサンスとは何であったのか」も読み終わってる。なんだそりゃ!元気じゃん!

 

3年前の祖父の手術日の深夜から翌日のメモ

 

 自分が、感性がにぶって他人事で優しくないのか、引きずられなくて頼もしくて動じないのか、よくわからない。 私は優しくない。

 

 祖父は大丈夫だろうか。祖母は一人で時間を耐えられるだろうか。母は疲れているしよく泣く。今日はなんだか皆違った。

 手術の映像を私と妹は想像ですら耐えられなかった。関係の近い祖母と母は、音声と映像と医師の説明とに潰れないだろうか。

 祖父は大丈夫かな。早く一般病棟に移られるといい。

 叔父に伝えて、向こうの判断に任せて帰ってきて貰えばいいのに。少人数で抱えるのは重い。

 ぼろぼろ泣くくせに頭の半分では今日のゲームのBGMや色んな音楽が流れてて変。演技なのかと思う。 頭いたい。鼻つまった。

 

 

……手術する半年前に祖父母は叔父のところへ行った。祖父はもう会うことは無いというような思いで行き、脳の手術を受けることを説明したらしい。でも叔父は興味を示さなかったらしい。だからこの手術の日取りは叔父に連絡しなかった。

 祖父母は近居している私達にも最初は手術のことを伝える気は無かったらしい。2人だけで解決できる、迷惑をかけまいと思っていた模様。

 

3年前の祖父の手術のこと

 

4月22日の手帳

 祖父の手術は9時から17時過ぎまでだった。麻酔から覚醒までを含む。そのあと検査もあって顔を見る機会があり、祖母の声かけにヨッシャヨッシャと答えていた。今のところ経過よし。

 19時過ぎに父も電車を使って病院まできた。祖父母の家で5人で夕食をとった。祖母と父は霧島のお湯割りを飲んでいた。祖母はよく寝られる、ホッとしたと繰り返し言っていた。

 

 手術の大事な局面では、手術室と控え室がモニターとマイクで繋がるようになっていた。祖父の頭の中が映って、今からこの箇所を云々しますけどいいですか、はいお願いしますという感じだったらしい。私は事前に話を聞いただけで気落ちしてしまっていたので、妹と控え室の外で待っていた。

 その手術映像を見ると決めた祖母は、途中からすごい技術だ、命の恩人だ、と思ったらしく、携帯でその映像を写真に撮っていたらしい。なんてこった。


 祖父も無事よくなると思う。ぺらぺら話せるようになるといい。怖かったと思うけど、後ろを向かずに手術室へ入って行った。強いのか強がりなのか。無事終わってよかった。

 祖母は祖父が麻酔へ行く前と手術室から出てくる前と気弱になっていたから心配だった。 祖母と控え室で待機していた母には、多分今までの治療を知らなかった分ハードだったと思う。妹は不安げで怖がっていた。あまり口に出さないから分かりづらい。父はスーツ姿だと遠目に一瞬分からない。私はちゃんとご飯食べた。おやすみ。

 

 

 祖父の手術で分かったのは、手術したからって終わりじゃないんだなってこと。当たり前なのに知らなかったね。

 

 

 今日は祖父が脳の手術をして丁度三年にあたる日だと思いだした。3年前の手帳を見て少し思い返してから寝よう。

 

4/17の手帳

 祖父母の家へ行ってきた。

 祖父は来週手術を受ける。先週話を聞いた時よりも、今日会って日程や手順を聞くと、なんかずっと大変なんだと、バカみたいだけど、ガツンとようやく一発くらって、少し気持ちが重い。

 漠然と医者などの諸々を信用して大丈夫だろうと思っていたけど、よく考えたら近頃医療ミスの話だって聞く。祖父母の話と、祖父のへらへらした状態が見ていてしんどかった。

 大丈夫とも言ってあげなかったのはなんでかな、うまく言葉が何も出なかったから、と思う。そんな怖いことを経験するのかと思った。手術の方が良いとはいえ、祖父はそれを経験する必要があるほどの状態なのかと思った。

 どうして気づかなかったのか、どうしてもうちょつと配慮できなかったのか、どうしてもっと深く考えられないんだろう。なんでいつも真面目に受け止めて考えられない。どうして私は考えずに知らずにいられたのか。結局いつも私のこと!

 

 ……グダグダ書いてるなあ。でもこの3日後にはダウントン・アビーs3のマシューカッコ良すぎ!なんでメアリーは結婚前夜にマシューを見ちゃうのバカァ!と書いてある。多分これはメアリーが結婚の迷信を破ったんだな。今となっては呑気なもんだな、と思うよ。

 

22日のことはまた書こう。

 SNSをやっているけど、どのサービスでも他人と交流してないことに気づいた。私から発する言葉があまりに少ない。

 ネット上でも受け身で私的でひきこもりで果たしてよいのかと思う。せめて社会的な姿勢をブログでは持ちたいと思う。

 とはいえ、まずは書くことを目標にする。それから他人へ伝わるように書く意識をもつようがんばる。