ごった

色々書きます

自傷行為の痕が薄くなってきていた。何年も前のものだからそうなるか、と少し寂しくなった。でもよくよく見ると光の加減でそう見えただけで、まだ腕に残っていた。消えるわけもないか。
体にはしなくなったけれど、しんどいことを考えたりするのは、結局精神への自傷行為に他ならないような気がする。体の方が実際に傷ついて危険だし視覚的で重たいが、どちらにせよ痛みを求めている。多分。
今日一日鬱鬱としていて、なんでわざわざしんどいように考えるの?と言われそうだなと思って、そういう気がした。
自分の不出来を考えたからって別に生きてると感じるわけじゃない。でも私のせい、ということは自分の影響・自分の居場所・私に因があるということな気がする。そしてそういう思考の痛みは私をハッキリさせ喉の奥を締め付け胸の奥を重くさせる。体を感じさせるんだろう。それにそう考えないと私は自分じゃないような気がする。というわけで、しんどいことを考えるのは私の確認行為なのね。