ごった

色々書きます

  読書週間だからというわけでもないけれど、源氏物語の宇治十帖を読みます!

源氏物語 (七): 匂兵部卿-総角 (岩波文庫)

源氏物語 (七): 匂兵部卿-総角 (岩波文庫)

  • 発売日: 2020/01/18
  • メディア: 文庫
 

  

 

 明石あたりまではなんとなく頭に入っているけど、女三宮と柏木の密通や紫の死去あたりの源氏の衰えていく部分はあまり知らない。だけど今回はすっ飛ばしていく。行くったら行く!後回しだ!

  といってそんなに読み進められたわけでもなく......。「橋姫」の八宮の没落の半生が語られる辺りまで読んだ。なんと光の須磨流離のころ、弘徽殿の大后が八宮を東宮に立てようと画策していたと。しかしそれは失敗に終わり、源氏の栄えるにつれて桐壺帝の子息(光の異母弟)ながら拠り所なくいる。幼い大君と中君に楽を教えつつ、仏道修行に励み聖となっている。とまあ今日読んだのはこんな内容だった。

 宇治十帖は源氏を引継く新章だけど、物語の始点からの派生でもあるんだなと驚いた。というのは最近、源氏物語は須磨明石から書き起こされたというのを見たから。須磨明石は貴種流離譚で、光にとっての死と再生の重要な転機にあたる。その時期の光のいない京を始点にして、そこに因がある物語・人物というのは、八宮の立場が表すとおりに光と縁遠い世界や反対側が描かれるのかなーと想像したり。無理矢理過ぎるか。

 改行してあるし註があったから分かるけれど、大君と中君のどちらのことを言っているのを果たしてどうして判別したのかしら、という部分が文庫のp.202にあった。だけどよく読めば姫君と若君で大君と中君を呼び分けているんだな。さてこの箇所では中君を中心に語り、けれど「姫君は」となって大君を奥ゆかしさや気品があり中君より「いたはしくやむごとなき筋はまさりて」と語る。これを古註では中君について言うとする、らしい。となると中君中心の文章に一文だけ大君のことが混じるわけでおかしくないかな、と新註よりで見るのでそう思うんだけど、なんで古註は中君としたんだろうね。「高貴な面は勝る」というで中君が賞賛されるべきという見方なのかな。